キャリア設計
2章|方向性を決めることの重要性

2,3年生は「考えないまま進めてしまう」状態に最も陥りやすい時期だ。
この時期に方向性を仮でも持てるかどうかが、今後の進路選択の重さを大きく左右する。
2〜3年生になると、時間的余裕が一気に減る
2年生、3年生になると、高専生活のリズムは大きく変わる。
実習や実験が増え、専門科目が本格化し、レポートや課題に追われる日常になる。
1年生の頃のように「あとで考えよう」と言える時間は、体感的にも物理的にも確実に減っていく。
時間割はほぼ埋まり、放課後や休日も課題やレポートに使われるようになる。
「今日は何もないから少し考えてみよう」という余白が、気づかないうちに消えていく。
この変化自体は、決して悪いことではない。
むしろ、高専らしい学びが始まった証拠でもある。
座学で知識を入れるだけでなく、実験や実習を通して手を動かし、考える力を鍛える。
この密度の高さこそが、高専の価値でもある。
問題は、この忙しさにどう向き合うかだ。
忙しさそのものが問題なのではない
はっきり言っておくと、忙しくなること自体は問題ではない。
問題なのは、忙しさを理由にして、将来について考えることを無意識に後回しにし始めることだ。
課題をこなす。
レポートを書く。
テストを受ける。
この繰り返しの中で、
「今はそれどころじゃない」
「落ち着いたら考えよう」
という感覚が少しずつ積み重なっていく。
そして気づいたときには、考えることそのものが面倒になり、
「いずれ何とかなるだろう」という思考に寄りかかるようになる。
この状態が怖いのは、
考えていない自覚がほとんどないまま進んでしまう点だ。
毎日やるべきことはやっている。
課題も出している。
成績も極端に悪くない。
だからこそ、「ちゃんとやっているつもり」になりやすい。
しかし、人生や進路についての思考は、そこで止まっている。
こうして、自分で考えて選ぶ感覚が、少しずつ鈍っていく。
方向性がないと、努力の意味が薄くなる
2〜3年生は、努力量が一気に増える時期でもある。
勉強時間は増え、課題も増え、専門的な内容に頭を使う機会も多くなる。
にもかかわらず、この時期に方向性がないと、努力の意味が見えにくくなる。
「この勉強は何のためなんだろう」
「この成績は将来にどうつながるんだろう」
こうした疑問に答えられないまま努力を続けると、
達成感は薄れ、消耗感だけが残りやすくなる。
努力しているはずなのに、
前に進んでいる感覚が持てない。
この状態は、精神的にもかなりきつい。
ここで重要なのは、これは怠けているからではないという点だ。
目的や方向性が曖昧なまま努力を続ければ、誰でも同じ状態になる。
人は「意味が分からない努力」を長く続けることができない。
だからこそ、この時期に方向性がないと、努力が消耗に変わってしまう。
周囲との比較が始まり、自分の軸を見失いやすくなる
2〜3年生になると、周囲の動きが急に気になり始める。
成績がいい人。
専門が得意な人。
将来が見えていそうな人。
ロボコンや部活動など、課外活動で秀でた成果を上げている人。
そうした存在が、無意識のうちに自分の基準になっていく。
「あの人はもう研究室の話をしているらしい」
「進学を考えている人が多いらしい」
「自分は何も決めていないけど大丈夫だろうか」
こうした不安が、静かに積み重なっていく。
本来であれば、
「自分は何を考えているか」
「自分はどこに向かいたいか」
が判断基準であるはずだ。
しかし、方向性がない状態では、
他人の進み方がそのまま正解のように見えてしまう。
結果として、
「みんながそうしているから」
「周りに合わせておけば安全そうだから」
という理由で、自分の判断を後回しにしがちになる。
これは、決断をしているようで、実は何も決めていない状態だ。
「向いていない」という判断を急ぎやすい
2〜3年生は、専門的な内容に初めて本格的にぶつかる時期だ。
思ったより理解できない。
実験がうまくいかない。
成績が伸びない。
そうした経験を通じて、自己評価が大きく揺れる。
ここで、多くの高専生が下してしまうのが、
早すぎる諦めの判断だ。
「自分は向いていないのかもしれない」
「この分野は無理かもしれない」
この判断自体が、必ずしも間違いとは限らない。
だが、この時期に出すには、情報が圧倒的に足りない。
本来であれば、
試行錯誤を重ねる中で少しずつ積み上がっていくはずの
理解や経験が、ここで止まってしまう。
その結果、
その分野について考えるための材料そのものが増えない。
さらに問題なのは、この経験が積み重なることで、
「合わなければやめる」という判断パターンが癖になることだ。
一度諦めると、正直楽になる。
考えなくて済む。
努力しなくて済む。
この感覚を覚えると、次も同じ選択をしやすくなる。
こうして、本来は増えていたはずの選択肢や思考の幅が、
気づかないうちに狭まっていく。
そして最終的には、
生きていく上で必要な
「問題を分解し、試行錯誤しながら解決していく力」
そのものが弱くなっていく。
仮でも方向性を持っている人は、判断が軽くなる
一方で、この時期に仮でも方向性を持っている人は、判断が比較的楽になる。
彼らは最初から正解を持っているわけではない。
ただ、「今はこの辺りを見ている」「ここを軸に考えてみる」という
仮の基準を自分の中に置いている。
そのため、授業や実習に直面したときも、
いきなり好き嫌いや得意不得意で判断しない。
「この内容は、自分が考えている方向とどう関係しそうか」
「今は分からないが、材料として取っておく価値はあるか」
「この部分は、もう少し試してみる意味がありそうか」
こうした問いを挟みながら受け止めるため、判断が段階的になる。
結果として、
「この分野をもう少し深掘りしてみたい」
「この方向は違いそうだから、別を試してみよう」
という判断が、感情ではなく思考の延長として出てくる。
この状態になると、
努力は「ただ疲れるもの」ではなく、
考えた分だけ判断材料が増え、次に活かせるものへと変わっていく。
何を決めないまま3年生を終えると、4年生で一気にツケが来る
2〜3年生は、まだ猶予があるように感じやすい。
「今すぐ決めなくてもいい」「まだ先の話だ」という感覚を持ちやすい時期でもある。
だが、ここで何も決めないまま3年生を終えると、
4年生になった瞬間に現実が一気に迫ってくる。
研究室選択。
進学か就職か。
インターンへの応募、企業研究、推薦を使うかどうか。
これらを、ほぼ同時に考え始めることになる。
例えば、3年生の終わりまでに方向性がないまま4年生になると、
「研究室はどこでもいいから、空いているところで」
「就職はとりあえず推薦で出せる企業に」
という判断になりやすい。
これは一見、合理的で現実的な選択に見える。
だが実際には、考える時間が足りないために、選択の基準そのものが持てていない状態だ。
時間も情報も足りない状態で重要な判断を迫られると、人はどうしても「楽な選択」に流れやすくなる。
楽な選択とは、必ずしも怠惰な選択ではない。
・考えなくて済む
・説明しなくて済む
・周囲と同じでいられる
こうした心理的負荷の低さが、「楽さ」として働く。
考える時間が一番ある時期に考えなかったツケは、後からまとめて返ってくる。
自分軸を持て
この章で伝えたかったのは、
2〜3年生で完璧な答えを出せ、ということではない。
必要なのは、
「今の自分は、何を軸に考えようとしているのか」
を持っているかどうかだ。
例えば、
・技術を武器にしたいのか
・人と関わる仕事に関心があるのか
・安定を最優先したいのか
こうした軸は、後からいくらでも変えていい。
だが、軸がないまま時間だけが過ぎると、考えるための材料が集まらない。
考え続けていれば、判断は少しずつ軽くなる。
授業や実習、失敗や成功の一つ一つが、判断材料として積み上がっていく。
一方で、考えないまま進めば、判断は一気に重くなる。
理由を言葉にできない選択ほど、後から迷いと後悔を生みやすい。
2〜3年生は、
「人生を決める時期」ではない。
だが、己の方向性をある程度決定し、人生について考える力を鍛える大切な時期ではある。





